イタリア軒の創設秘話

ピエトロ・ミリオーネ写真

明治7年の夏、開港で活気づく新潟にやって来た、フランスのスエリ曲馬団一行の中に、イタリア人の青年コック、ピエトロ・ミリオーレがいました。ミリオーレは大けがをして、一行から置き去りにされたのですが、新潟で曲馬団に雇われていた、権助とおすいが親身になって介抱をしました。

この話に感動した当時の県令楠本正隆は、ミリオーレに牛鍋屋を開く資金を出しました。店は大繁盛、ミリオーレも「ミオラ」と呼ばれ人気者になり、いつかおすいと夫婦となり、幸せな時を過ごしておりました。

ところが明治13年の大火で店は焼失してしまい、ミオラはショックでイタリアへ帰ろうと思い悩みましたが、周囲の人達の励ましで西堀の現在地に、日本でも最初の本格的西洋レストランを誕生させました。おすいの発案で「イタリア軒」と名付けた瀟洒な洋館と料理の味は「これぞ新潟の鹿鳴館」と誉めたたえられ、最先端をいくレストランとなりました。

新潟の地に新しい食文化の中心として貢献し続けたミオラも、在日30余年で望郷の念やみがたく、単身故国イタリアへ帰り、大正9年11月に故郷チュリン市で波瀾の生涯を閉じたといわれます。

それから1世紀、ホテルに生れ変わった今も、ホテルのレストランには、ミオラの創った「イタリア軒の味」が生きつづけています。

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